嬉しさは行ったり来たり
剣道を長くやっていると嬉しいことやもう嫌だと思ったり、こんなことで良いのかと感じたり色々。
でも続けているということは楽しいと感じている事の方が多いからなんだと私は思っていたけど以外とそうではない。
心理学的に言うと楽しいことと悔しいと思うことの比率で続けられる長さがわかる。
ベストバランスは7割辛いと感じ、2割嬉しいと感じ、1割俺やっぱり天才と錯覚できることらしい。
イチロー選手や石川遼君や総理大臣になる人や一代で大きな会社を作り上げた人はこれには当てはまらないと私は思う。
というのは他の人が辛いということがすべて楽しいと感じ、自分のことを大好きだけどもっと好きなのは努力している時が一番好きだから、休まず何かをしている時が一番好き。
大半の人は休みに何かをしたいとか、または美味しいものを食べたいから我慢して働く、剣道なら段に受かりたいから相手に打たれても良いから真っ直ぐ打つ、試合に負けても良いから下がらないとか何かを犠牲にしているから合格や嬉しい時に続けててよかったと思う。
よく言う『好きなことを仕事にしたら、好きでなくなるからしない』これなんですね。
こんな私も思い返すと続けている事はこの7対2対1って法則にはまる。
ギャンブルも七割外れて二割元返し、たまに万馬券で結局損しながらも続けている。
15年前ですが一度だけですが競馬が一ヶ月間大当たりが続き200万円ほど当りそれでも差し引きすると100万円は手元に残った。
その時初めて『競馬って面白くない』と感じたんです。
神様は偉いですそれから私を楽しませてくれるように当りが少ない。
言わずとわかるそれ以上に負けています。
釣りに行った時も初めから入れ食い状態(ずっと釣れっぱなし)って終わってみると意外とそんなに楽しくなかった気もしたりする。
仕事なら大繁盛は嬉しいし一度もたくさん入って嬉しくないなんて思ったことはない。
ただ私の場合ドラマチックというかダメだけど頑張った、努力した、それでも駄目かと思った時神様の気まぐれが至福の時となる。
子供の時親戚の家に預けられいいた私は皆で釣りをしに行った。
皆は釣れているんだけど私は釣れない、なんかたまらなくこの状況が嫌になり、でもどうすることもできない、でも自分だけ帰れない、もっと言うと釣りが好きだから色々考えた、でも結局釣れない、そして帰り仕度して歩いている時に一人がおしっこしたいと言うので立ち止まった。田舎だからその近くに水たまりみたいな10メートルくらいな沼があったから、まったく釣れない俺はふざけてこんなところに大物がいるんだぜなんて言って糸を垂らした。
その当時の私たちの釣りは裏山から竹を切って50円位で買った釣りの仕掛けをつけているだけ。
餌はミミズ。
そんなのを肩に担いでバケツを持っているから釣り仕度に10秒で出来る。
そしたらなんと30センチ以上の鯉がかかった。
びっくりしたのは私以上に周りの友達だった。
釣りあげて家に持って帰った。
もうさっきまでのぼうずの私ではない。(ぼうずとは釣り用語で一匹も釣れないということ)
いとこ達の方が興奮して話してくれている。
小学生の低学年に30センチの鯉は、松方弘樹が300キロのマグロを釣り上げたことより喜びは大きい。
こんなことがあるから最後まであきらめ手はいけないと思った。
そしてその気持ちは今でもある。
だから子供たちを指導しても最後まであきらめるなという。
新しい道場を受け持ってから一年がたち今年の春からやっと試合にも出られるようになった。
もちろん幼稚園生と初心者の子供たちだから防具をつけて打ち合う試合ではない。
でも、まだ一年だから試合に出すことの意味や礼作法など見習う先輩たちもいない。
でも春の基本の部に出した。
結果はもちろん誰も入賞はできない。
それどころか一回勝つことさえ出来ない。
これは当たり前だとわかっていたけど、子供も親も先生たちも心通う子供たちの負け姿を見て、それも大切なこととわかっているけどやっぱりショックは子供本人より響く。
だから私は子供たちに頭を下げた、勝たせてあげられなくてすみません。
でもこの姿辛いのは見ている君たちも辛いよね。
だからもう一度こんな姿を見たければ負ければいい、でも少しでも先生のこんな姿を見たくなければ勝ってくれ。
と言った。
自分の試合より緊張するってこんな気持ちなんですね、祈る気持ちはここだと感じた。
一人目の子に私は『頼むから大きな声を出して、決勝の気持ちでやってくれ』と言った。
そうしたら勝ってくれた。
基本の部だから相手とは打ちあわない、自分の日頃の努力で審判は旗を上げてくれる。
嬉しかった。
そしたら、やっぱり子供たちは私以上にホッとしてくれた。
仲間が勝った!!!!
それが心の安心となりほとんどの子が一回戦突破!
本当にこいつら頑張っている。
すごくかっこいい。
そして半年前にほとんど勝てなかった子供たちが今回は三位入賞が二人になった。
表彰式は少し時間があったので洋服に着換えさせたからこの写真だけではなんだかわからないかもしれないけど我子(道場の子供)が勝った、と最高な気分。
いつまで続けてくれるかわからないけど、嫌なことを嫌と感じないなら剣道のプロになって日本一を目指してほしい、もし辞めても今の感動を持って日本の一番になってほしいと願っている。
上に行けると言う気持ちは、負けた時悔しいと感じること、そして頑張ると思うこと、そして稽古して少しでも成長していると感じること、そして何より自分のことを好きになること。
努力している姿は絶対にかっこいい。
子供たちの勝ちに嬉しくなり、親も本当に勝てたと嬉しくなり、そして子供たちがまた嬉しくなる。
努力しないで勝ってもこんな喜びはない。
努力して負けて、そしてもっと努力して少し勝てた、だから努力って意味がある。
いきなりてっぺんに行くより今は努力の階段を手さぐりで登って行くのも良いものですね。
でも続けているということは楽しいと感じている事の方が多いからなんだと私は思っていたけど以外とそうではない。
心理学的に言うと楽しいことと悔しいと思うことの比率で続けられる長さがわかる。
ベストバランスは7割辛いと感じ、2割嬉しいと感じ、1割俺やっぱり天才と錯覚できることらしい。
イチロー選手や石川遼君や総理大臣になる人や一代で大きな会社を作り上げた人はこれには当てはまらないと私は思う。
というのは他の人が辛いということがすべて楽しいと感じ、自分のことを大好きだけどもっと好きなのは努力している時が一番好きだから、休まず何かをしている時が一番好き。
大半の人は休みに何かをしたいとか、または美味しいものを食べたいから我慢して働く、剣道なら段に受かりたいから相手に打たれても良いから真っ直ぐ打つ、試合に負けても良いから下がらないとか何かを犠牲にしているから合格や嬉しい時に続けててよかったと思う。
よく言う『好きなことを仕事にしたら、好きでなくなるからしない』これなんですね。
こんな私も思い返すと続けている事はこの7対2対1って法則にはまる。
ギャンブルも七割外れて二割元返し、たまに万馬券で結局損しながらも続けている。
15年前ですが一度だけですが競馬が一ヶ月間大当たりが続き200万円ほど当りそれでも差し引きすると100万円は手元に残った。
その時初めて『競馬って面白くない』と感じたんです。
神様は偉いですそれから私を楽しませてくれるように当りが少ない。
言わずとわかるそれ以上に負けています。
釣りに行った時も初めから入れ食い状態(ずっと釣れっぱなし)って終わってみると意外とそんなに楽しくなかった気もしたりする。
仕事なら大繁盛は嬉しいし一度もたくさん入って嬉しくないなんて思ったことはない。
ただ私の場合ドラマチックというかダメだけど頑張った、努力した、それでも駄目かと思った時神様の気まぐれが至福の時となる。
子供の時親戚の家に預けられいいた私は皆で釣りをしに行った。
皆は釣れているんだけど私は釣れない、なんかたまらなくこの状況が嫌になり、でもどうすることもできない、でも自分だけ帰れない、もっと言うと釣りが好きだから色々考えた、でも結局釣れない、そして帰り仕度して歩いている時に一人がおしっこしたいと言うので立ち止まった。田舎だからその近くに水たまりみたいな10メートルくらいな沼があったから、まったく釣れない俺はふざけてこんなところに大物がいるんだぜなんて言って糸を垂らした。
その当時の私たちの釣りは裏山から竹を切って50円位で買った釣りの仕掛けをつけているだけ。
餌はミミズ。
そんなのを肩に担いでバケツを持っているから釣り仕度に10秒で出来る。
そしたらなんと30センチ以上の鯉がかかった。
びっくりしたのは私以上に周りの友達だった。
釣りあげて家に持って帰った。
もうさっきまでのぼうずの私ではない。(ぼうずとは釣り用語で一匹も釣れないということ)
いとこ達の方が興奮して話してくれている。
小学生の低学年に30センチの鯉は、松方弘樹が300キロのマグロを釣り上げたことより喜びは大きい。
こんなことがあるから最後まであきらめ手はいけないと思った。
そしてその気持ちは今でもある。
だから子供たちを指導しても最後まであきらめるなという。
新しい道場を受け持ってから一年がたち今年の春からやっと試合にも出られるようになった。
もちろん幼稚園生と初心者の子供たちだから防具をつけて打ち合う試合ではない。
でも、まだ一年だから試合に出すことの意味や礼作法など見習う先輩たちもいない。
でも春の基本の部に出した。
結果はもちろん誰も入賞はできない。
それどころか一回勝つことさえ出来ない。
これは当たり前だとわかっていたけど、子供も親も先生たちも心通う子供たちの負け姿を見て、それも大切なこととわかっているけどやっぱりショックは子供本人より響く。
だから私は子供たちに頭を下げた、勝たせてあげられなくてすみません。
でもこの姿辛いのは見ている君たちも辛いよね。
だからもう一度こんな姿を見たければ負ければいい、でも少しでも先生のこんな姿を見たくなければ勝ってくれ。
と言った。
自分の試合より緊張するってこんな気持ちなんですね、祈る気持ちはここだと感じた。
一人目の子に私は『頼むから大きな声を出して、決勝の気持ちでやってくれ』と言った。
そうしたら勝ってくれた。
基本の部だから相手とは打ちあわない、自分の日頃の努力で審判は旗を上げてくれる。
嬉しかった。
そしたら、やっぱり子供たちは私以上にホッとしてくれた。
仲間が勝った!!!!
それが心の安心となりほとんどの子が一回戦突破!
本当にこいつら頑張っている。
すごくかっこいい。
そして半年前にほとんど勝てなかった子供たちが今回は三位入賞が二人になった。
表彰式は少し時間があったので洋服に着換えさせたからこの写真だけではなんだかわからないかもしれないけど我子(道場の子供)が勝った、と最高な気分。
いつまで続けてくれるかわからないけど、嫌なことを嫌と感じないなら剣道のプロになって日本一を目指してほしい、もし辞めても今の感動を持って日本の一番になってほしいと願っている。
上に行けると言う気持ちは、負けた時悔しいと感じること、そして頑張ると思うこと、そして稽古して少しでも成長していると感じること、そして何より自分のことを好きになること。
努力している姿は絶対にかっこいい。
子供たちの勝ちに嬉しくなり、親も本当に勝てたと嬉しくなり、そして子供たちがまた嬉しくなる。
努力しないで勝ってもこんな喜びはない。
努力して負けて、そしてもっと努力して少し勝てた、だから努力って意味がある。
いきなりてっぺんに行くより今は努力の階段を手さぐりで登って行くのも良いものですね。
2010-10-18 18:29
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