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感謝から愛そして

どうしてこんな俺と結婚してくれたんだろう。
三回忌を無事終えるとちょっとそんな事が頭に浮かぶ。

大学の卒業記念にと親友とグアムに行った。

北海道から来ていた女性二人と知り合った。
もちろん声をかけたのはじゃんけんで負けた私の相棒。

剣道で鍛えた体に似合わず、女性に対しては小心者の二人はもじもじと話しかけた。
優しい笑顔が嬉しかった。

二日間のディナータイムが最高だった。

私たちは東京へ、彼女たちは北海道へと飛びたつと少し寂しさが残る。

もう会う事は無いのかも。

東京と北海道、30年前と距離は変わらないが、手軽さが違うから。

私たちに悪い印象が無かったのか彼女たちと住所の交換もしてくれた。

今なら連絡取り交わすのはラインなどでしょうが、その当時は手紙か電話でしたね。

お礼を兼ねて手紙を書いた。

彼女から手紙が帰って来た時は嬉しくて重い体が僅かに宙を舞った。

それから四年たった頃本気でつき合ってもらいたいと申し出た。

四年間で会ったのは二回、グアムで初めてを入れても三回。

一度は断られた。
そうです、当たり前です。
三回しか会っていないのですから、つき合うには相手を知らな過ぎる。

でも、文通は続けてくれた。
それで私は満足だった。

少し時間が経ち、もう一度申し込んだ。
もちろん手紙で。

彼女は「はい」と言ってくれた。

それから二度北海道と東京で会い、結婚を申し込んだ。

亡くなる二ヵ月前に入院生活が始まった。
毎日のように仕事の合間に片道一時間かけて顔を見に行った。

往復二時間、面会時間は30分

「毎日来なくても良いよ」
「俺は顔みたいから来てるんだ」
「仕事も大変だし、あなたが疲れるから…」
「そばにいたいんだ」

ほぼ毎日だと会話もさほどなくなると、病室の窓越しから見える景色を話題にしていた。

時間も会話も少なくなり
「じゃ、そろそろかえるね」と言うと必ず
「悪いね、ジュース買ってきて」
「ティシュ変えてくれる」
と声をかけてくれた。

帰らないでと言ってくれているように感じる一瞬が嬉しかった。

2月22日結婚式をあげた。
多くの人に来てもらい申し訳なさの中にも、感謝があった。

女房の親戚は結婚式の後羽田から北海道へ帰ることもあり、二次会はせず見送った。

女房にはなんか申し訳なく感じた。
北海道で所帯を持てばこの素敵な親戚の人たちといつでも会えるのに、ちょっと遠くですみません。

すぐに長女が生まれ、二年後に次女が生まれ、そして長男も生まれ、五人家族となった時は、いつも家は賑やかだった。

お金は無いけど、笑顔はたくさんが我家でしたね。

無事に子供たちも学校を卒業したとき妻にはよくここまで頑張ってくれたねと大きな感謝でした。

もちろん良い事ばかりじゃなく、喧嘩もあり、でも後を永く引きずらないのは、愛ですね。

剣道と人づきあい、予定無しに家での宴会はよくありました。

苦労をかけた

亡くなるときに私の手を強く握って、何度も自分の胸に押しつけた。

三回忌法要の線香の香りが色々な事を思い返してくれた。

こんな俺についてきてくれてありがとう

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