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稽古少し始めてからの心を書きます


少し体も剣道的に馴染んできました、半分くらいかな。
半年近くしてなかったのであたりまえですね。
私は剣道は好きですが、激しい稽古は嫌いです。
責任ある立場の稽古は何があっても行いますが、出稽古はよほどてないと行きません。
だって疲れちゃうから。
まして今は朝稽古、寒い、暑い、稽古はお金を頂いても行きたくないし、できないです。
それは何故か?
私はやるときは全力を出す。
昔、御誘いで稽古に参加させてもらった時のことです
少し体調が悪いとお知らせはしときましたけど、宜しいですかといいました。
師匠からの言葉
稽古を迷ったら厳しい道を行け!
あとで後悔で悩まない。
そうです
でも、その当時50歳過ぎている私に高校時代の教えは守らなくていいと思うんだけど?
でも、感謝の気持ちで参加させていただきました。
もちろん全力でしました。
そんなときほど、先に力を出しますが、後につながらない
私らしい。
でも、稽古では後半ボコボコ、ましてはかかり稽古的な結末。
だったら、容量使って適当にしとけばとすべてが終わったとき思いました。
その先生曰く
私と稽古するのに少し体調が悪い?
そんな状態で稽古にかかるな。
それは当たり前です
日本一と言われるくらいすごい人なんですから
それ以来その先生と稽古はしたいとは思いませんでした。
だって、体調万全なんて今はあり得ない。
でも、ある意味共感できることは後付けの言い訳しないで全力を出す、剣道愛はどれだけ?
ということなんでしょうね。
私は学生時代試合で負ける人のことの気持ちなんでわかりませんでした。
負けてもいいから試合したい的な気持ち。
負けてもいい?
試合は勝つためにやるもの。
試合ならどんなことをしても反則ギリギリ、暴力的なこともしてでも負けない。
これが体と心に沁みついています。
もちろんそんな私でも負けました。
負けると次からの稽古が倍になります。
それが辛いから負けられない。
剣道の試合、辛くならないために負けないだけ。
勝って喜び、みんなと感動?
私には無いです。
負けなくてよかった、仲間、親、に迷惑かからなかった。
それだけ。
本当に高校時代は試合出たくありませんでした。
高校時代、東京で優勝、関東で二位にもならせていただきましたが、本音です。
今では考えられないと思いますが、試合が終った会場ではあちらこちらで、負けた生徒は監督に叩かれていました。
45年前の事です。
だから試合ということに対しては、私は一般的に言う二重人格です。
それを私はわかってますが、試合になると自分を止められません。
だから私は試合に出たくない、恐ろしい人格を表したくないと思っています。
守りたいという本能と祈りの強さを付けたと思っています。
今は形や審査的な稽古は好きです。
それは相手も正しいことを求めていただけているから、未熟な反射鏡的な私は敵意を持っていなければ何もしません。
一人っ子ですので本来争いごとは苦手です。
私はあるとき言われた言葉
権田を味方にしても得は無いけど
敵に回したら本当に怖い人だ
私もそうだと最近自負しています。
でも、剣道については一緒に歩みたい
苦しんでも続けてこられてきたからこそ信じあえる人には力になってあげたい。
特に剣道の昇段については私は感じています。
大体の人は剣道で昇段したいなら稽古たくさんしなさいと言います。
でも、落ちたらまた頑張れ!という。
なにも間違ってはいません。
私は審査前は稽古はたくさんしない方がいい、私を信じてください。
私はあなたを合格させるために、私の運を使い祈るから絶対に大丈夫と言っています。
嘘みたいな話だと思うかもしれませんが、何回も挑戦されてダメだった人が私とかかわり合格したと思っています。
私に少しだけ見えるものがあります。
だから信じて祈り、ともに歩んでいる人がその時に不合格なら
すべて私の責任と感じて「合格できなくてすみませんでした」と私は謝ります。
本来は弟子が不合格ですみませんと師匠にお詫びを入れるのが一般的かもしれませんが。
私の師弟関係は不合格は全て師匠の責任と思っています。
だから普段の稽古にだきょうはありません。
だからたくさん稽古できません。
少しの稽古でも心からやってよかったと今は思って稽古しています。

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