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本当は我子

昔私はこんな文章を書いていた。

何気なく読み返したら妙に心に響いてしまった。

自分で書いて自分で感動はなんて安上がりなんだろう。

そしてこの話は本当は自分の家のことなんだと今あえて書きたくなってしまった。



『鶏のもものやいたやつ』

食べ物には色々な思い出がいっぱいある。


先日こんな話しを聞いた。

家族で年に一度お墓参りにいく時がありその帰りはそのお墓の近くのレストランで食事をするのが恒例になっているらしく子供たちも喜んで一緒についてくる。

そしてお墓参りが終わり、レストランに行こうとしたらそこの駐車場はいっぱいで入れずやむなく今回はあきらめようと思ったらしいのだが、子供の一人が『やっぱりここで食事したいな』と強引では無いけど口にする。

別に次の用事も無いので近くだったのでまたお寺に車を止めそのレストランに行ったらしい。

車がいっぱいと言うことは人もいっぱいで席に着くまで20分待たされることになった。

言い出した子は『こんなに待つんだったら悪いね』と言うけどやっぱり食べたいものがあったみたいだ。



そしてようやく席に着きメニューを広げ選ぶ。

親はお勘定を払うのでどうしても、料金の方から視線を送る。

子供たちは食べたいものから視線が行くのは自然の流れでそれも良いと思ってる。

年中行くようなところでも無いし、すごく高級という料理でも無い。

親心か自分たちが先に安いものを選んでは子供たちが選び辛いと感じ『何がいい?』と聞くと一人は安めな『ハンバーグが良い』と答え、つられる様に親も『私もそれでいい』と答えてもう一人の子に『何にする?』と聞くと、申し訳なさそうに『私は飲み物いいから、ステーキ&ハンバーグが良いな』と言う。

子供の定番はやっぱり食事にはジュース等の飲み物ですよね。

でもその子はその定番の飲み物を削除してもこの『ステーキ&ハンバーグ』が食べたかったみたいだ。

親はもちろん『良いよ』と言う。さほど料金だって変わるわけではないけどその子の申し訳なさげな心が感じた一瞬だった。

なんでもいいと親が言ってもやっぱり子供は考えているのかもしれない。

私だけ少し高いものは気が引けると。

注文をとりに来る人が来る前にポツリとその子が『前にここに来たときステーキを食べた味が忘れられない』と言った。

もちろん肉をめったに食べない家族ではないし、普段だって食事に行くといってた。

でも、ここでこの雰囲気で食べた味が忘れられないのかもしれない。

子供の良き思い出がここにあるのかもしれない。



やはり混んでいるのでその料理が出てくるまでに30分近く待ったとき、その子はこんなに待たしてしまったのは自分がここに来たいと言ったからだと感じているみたいに、『遅いね、悪いね』と口にする。

弟はお腹が減っているから厨房の方ばかり気にしてみているが愚痴を言うわけでもなく、ふざけるでもなく待っている。

親は違う所に行けばよかったかな?と思ったり、またこの忙しさでは店員に催促も出来ないし、ましていらついたら子供に可愛そうだと察し会話で気を紛らそうとしている。



そして料理が来たら待ちかねた弟は好きなポテトフライから平らげる、それを見て親はそっと自分の分も弟のお皿に移す。

一番待ちかねた姉も『私のも食べる?』と言いながらポテトを移してあげる。

本当はそれも全て食べたかったのに待たせたほんの少しの弟へのお詫びなのかもしれないと思った。

待ちかねたせいもあるし、まだ並んでいる人もいるので食事は自然と早くなる。

親は『ゆっくりで良いよ』と言うけど少し早い。

待ち時間50分、食べるのは5分と言ったところだろうか。

思いを込めたステーキなのに周りに気を使って食べたステーキはどんな味だったんだろか?

『ご馳走様、美味しかった』と言葉を残しそのレストランを後にする。

パンもあったし満足で終わったと親は感じた。

そして家に帰り少し時間がたちはしたけど一応カレーを作ったら、その二人の子はぺろりとカレーを食べた。

その時の顔が妙に二人とも安心した顔で食べていたことにその親は『この子達、さっきはやっぱり気を使って満足とまでは行かなかったんだ』と思ったらしい。



いくら美味しいものでも色々な事を考えたり、気を使ってはせっかくのご馳走の味も半減してしまうし満足とは思えないけど、それはそれなりに親への感謝と血が通っているけどわずかな遠慮なのかも知れないと思った。



この話しを聞き私も親に誕生日のとき『好きなもの』といわれると決まって『鳥のモモの焼いたやつ』と言ってた。

私にとってはそれがとってもご馳走だった。

もちろんもう少し高価な他の食べ物も知っていたけど、中学まではずっとそれだったような気がする。

ちなみに今でも大好物です。



だからと言ってその家族は質素な生活をしているわけではないけど、たまに垣間見るこんな子供の姿に妙に考え深さを感じるのかもしれない。



お金もこんな風に使われたら幸せだろうな。



人への良い気使いは悟られまいとすればするほど、どこかに感じ取られてしまうものですね。それが愛情なのかもしれません。



おみくじを引いて大吉が出たとき、何の保証も無いけど小さな幸せを感じるのも同じかもしれない。



高校の時、俺の親父が試合前になると必ず『トンカツ』を食卓に並べた。

『勝つ』の縁起なんだよね。

今でもトンカツを食べると思い出すな。


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